木曜日, 1月 05, 2006

有料老人ホームの実態その2

ケアワーカーのT氏(女性)は、日誌を開きながら、説明した。
向かい合って座っていた私には、その日誌の内容が見えなかった。T氏は、時々間違えましたといって訂正しながら、日誌を見つつ話した。
「他のお客様に暴力を振るうようになりこちらとしても、困り果ててお父様の承諾を得て入院していただきました。薬の量を調整するのと、対応のヒントを教えてもらうためです。特に夕方になると興奮なさるようになってきまして、このままではお預かりできないということで、お父様のご了解を得ました」というわけで、六月二日に秦野○○病院に入院したそうだ。
「六月二七日に一時帰宅ということで、有料老人ホームのケアガーデンに戻ってきたところ、別のお客様の車椅子を倒したり、他人の部屋に入ったりしたため、二九日に病院へ戻りました」
という。
「七月四日にふとんにくるまったまま、ベッドから落ちているのを発見し、CT等を撮りました。夕方になると足取りも悪くなり、目が離せなくなる。薬の減量を考えなければならない。でもリスクあり。血圧が上がってきたので、安静にしていただかなければならない。それで、お父様の承諾を得て、拘束しました。八月に薬を減らしたけど、怒りっぽくなった。リハビリしようとしても、怒っているので手がつけられない。これ以上お薬を使うと大変と先生が言いました。九月五日に一時帰宅しました。お父様がこのままでは、廃人になってしまうので、退院したいということで、九月十日に退院しました」
という話だった。
十二月十八日時点で母は、自分で起き上がることもできず、トイレも二人ががりの介助が必要だった。食事も手が震えて、スプーンにのせたゼリーが落ちてしまうほどだった。
私と会った当初、母は、死んだ叔父を生きているように話していたが、私が「叔父さんは死んだの」と訂正した。その後もいろいろ支離滅裂な話をしていたが、私が訂正してあげると、そばにきたケアの人に「年をとるっていやですねえ」なんて、普通っぽく話をした。そして、私に、今度は、「死にたい、さびしい。ここの生活はこじきみたいな生活だ。助けてくれ、あなただけが助けることができる」と必死の形相で、訴え始めた。暗く悲しい顔だった。
十八日は、母の晩御飯の介助をしてあげて、夜九時半に私は帰った。しかし、その母の悲しい顔が目に焼きついてしまった。それで、二日後、ケアワーカーに連絡し、経過を聞きたいと言ったのだった。

0 件のコメント: