金曜日, 1月 13, 2006

有料老人ホームの実態その3

昨年5月に、神奈川県秦野にある有料老人ホームサ○シティ神奈川に入居中の母を見舞った。アルツハイマーと診断されて、要介護3だった終身介護の有料老人ホームで、広々とした豪華なケアガーデンで月の半分は24時間過ごし、残りの半分は、夜だけ父と一緒の部屋に戻るという状態。そのうちに、すべてケアガーデンで過ごすようにするということで、私もよかったよかった、これで安心と思ってほっとした。自宅を売り、総額6000万円払っても、これならよかった、親孝行できたと思った。ところが、7ヵ月後の12月18日に行ったら、車椅子で、支離滅裂なことをしゃべりまくり、まったく別人のようになっていた。そして、私が、「その叔父さんは死んだの、みんな年をとったから、仕事はしていないの」と答えると、「そう」とがっかりしたようにしょんぼりした。そして、私に、「死にたい、ここの生活はこじきみたいだ。助けてくれ。あなたならそれができる」と、哀しげな真剣な表情で訴えた。私は、なにがなんだかわからず、驚くばかりだった。

そして、食事の時間となり、食事が運ばれてきた。食事は、ご飯はおかゆで、上の食堂の通常メニューが、すべて切り刻まれて、きれいに盛り付けてあった。その様子は、さすがにプロの料理人だと思ったほどで、魚も、サラダも、豆腐もそれぞれ、別々のお皿に、元あった場所に切り刻まれて、こんもりときれいに盛り付けてあった。母は震える手で、スプーンを取ると、何とか食べようとしたが、なかなかうまく食べられない。私は箸でのせてあげたり、エビフライにタルタルソースを混ぜたりして、介助した。2時間近くかけて、やっと四分の一ぐらい食べた。「味がない、おいしくない」といいながら。私は、母の好きな、ゆず大根と、さば寿司を持ってきていたので、母は最初それを主に食べた。ゆず大根をせっせと食べたが、太さ一ミリ、長さ数ミリ大にまでなった大根を飲み込めず(実はそのとき入れ歯が入っていなかったことに後で気がついた)に、一度出しまたが、また食べてしまった。そして、さば寿司は三切れくらい食べて、途中で「おいしい」と一言言った。その日は、夜9時過ぎになったので、ケアの人に手伝ってもらい、母を寝かせてもらって、私は、家に帰った。トイレに行くのは二人がかりの作業で、ベッドに体を寝かせるのも、プロの業が必要だった。硬直した体は、自分で寝ることも、起き上がることもできなくなっていたのだった。
私は、二日後、ケアガーデンの担当者T村氏に連絡し、23日にこうなった経緯を聞きに行った。そして、問題行動に対処するために、薬の分量を調べて、対応のヒントをもらうという目的で、3ヶ月秦野○生病院に入院したこと、その入院中に、(最初転んだといっていたのに)ベットから落ちてCTをとったりしたが大丈夫だったこと、血圧が上がってきたので、安静を保つために父の了解を得て拘束したこと、最後には、廃人になってしまうという父の意見で退院したこと、飲んでる薬の名前などを聞いた。

家に帰り、飲んでいる5つの薬をインターネットで調べると、副作用のきつい抗精神薬がたくさんあった。そして、パーキンソン症状を起こすものが3つあった。しかし、幻覚、せん妄を引き起こすもの、死に至る副作用の悪性症候群に注意というものもあり、やもあり、何が副作用で、何が元なのかわけがわからなくなるほどだった。病院に連絡し、入院時にベットから落ちたということについて、話を聞きたいといったら、個人情報の保護ということで、拒否されたが、私が、いろいろと抗議しブログで公開すると脅したら、29日に来てくれということで、29日に、病院に入院時の様子を聞きに行った。当方は、インターネットで調べた内容を切り貼りしてプリントアウトした「薬を減らしてください」という十数枚のペーパーを6部くらい持って行った。

先にサ○シティに行き、母に会って看護婦さんたちにも、ペーパーを渡した。先方は、主治医と、看護婦長、ソーシャルワーカー、病棟担当というメンバーだった。ベットから落ちたときの事をまず聞いた。なぜ落ちたのか不思議だったからだ。看護婦長が「柵はついているが、それを乗り越えて落ちると危ないので、取れるようになっています。CTをとりました。すると多発性脳梗塞があって、だから混合型痴呆ですよね」と言った。いろいろ話をしているうちに、医局長という人物が入ってきて、話に加わりました。彼は、今年発表された抗精神薬が老人の感情コントロールに効かないというアメリカの医学ジャーナル記事について、「その話は知っている。しかし、個別に見ると効くことがある」と言った。そして、「このリストにはないが、リ○○○ールという薬が出ている。やめるなら、これを減らしましょう。他に、~、~の薬も出しています。量は、○○mg、○○mg。デ○○○は減らさない」とカルテも見ずに、主治医そっちのけで、言った。私は、とにかく、早急に薬を減らしてほしいといったら、1月12日に父同席で、本人を診察して決めることになった。そして昨日行ってきた。

私は、「多発性脳梗塞と、パーキンソン症状を専門とする神経内科にみてもらいたい。神経内科はならアルツハイマーもわかるし。2月7日に横浜○○○病院の神経内科を予約してあります」と言った。主治医は「並行して二つの病院にかかれるかどうか、病院内部で検討します」と答えた。この病院には、精神科と内科だけしかない(精神科には閉鎖病棟!!!!がある)。そして、その結果は、「並行してかかることはできない。転院するか、このままかどちらかです」という返事だった。私は、「レベル5の最悪のパーキンソン症状であり、多発性脳梗塞によるパーキンソン症かもしれないから、神経内科を受診したい」と主張した。
すると、主治医は「薬をやめれば、よくなると思いますよ」と言った。サ○シテイのケアワーカーは、いやそうな顔をし、「指定病院ではないので」と言った。「神経内科のある指定病院はないのですか」と聞くと、「東海大とか」というので、「東海大でもいいです」というと、ケアワーカーは、しぶり、「ご家族で意見を統一してください」と言った。父は、「こちらの病院を信頼している」というだけだった。しかし、父が、「神経内科はこちらにはないのですか」と主治医に聞くと、「MRIなどの機械がないし、・・・・・・」と少しまともな説明をした。私は「では自力で連れて行きます」と言った。さらに「グ○○リールも英米では承認されていないし、パーキンソン治療に使うという説明があるにもかかわらず、パーキンソン症候群を起こすというわけのわからない薬で、幻覚、せん妄を引き起こすなどの副作用があるから減らしてください」と言った。すると、主治医の若い医者は怒り出して、「絶対に減らさない」と言った。私は、副作用情報などをプリントしたペーパーをどっさり持っていたので、父に渡して、「今日はこれから仕事だから。土日に相談に行くから」といって、病院を後にした。

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