母は、薬漬けにされたあと、7年くらい生きていました。
その後の話、特に亡くなった時のことを書いてありませんでした。
実は、非常にショッキングで、書く気にもなれず、忘れたいと思う気持ちもありました。
それは、今から11年くらい前のことです。
有料老人ホームから呼び出されて、誤嚥性肺炎になったので、心づもりをしてほしいという話。
しかし、食事がとれるかどうか、試してみてほしいと言って、試したら、食べられたので、食事再開しますという話だったと思います。
しかし、しばらくして母のところに言ったら、また誤嚥性肺炎で、食事を止めて、一日500㏄の点滴だけになったという。
目がくるっと上向いて、白目をむきそうになる。
誤嚥性肺炎と言っても、血液に細菌が検出された、熱が出たというだけ。
医者は、泌尿器科の医師一人だけ。
私は、誤嚥予防のため、ゼリーをもっていっていたので、それを食べさせた。
アサイーゼリーだったと思う。その後、アイスクリームなども喜んで食べた。
しかし、一筆書かされた。何かあったら、責任を取りますと。
私の主治医に相談したら、その状態は、もう手遅れだという。
点滴で生命を維持するには、中心静脈栄養という方法で、一日2000㏄くらい入れなければ、だめだという。
私は、それから毎日通った。
2週間くらいたったとき、すごくがつがつしているのを感じた。
食べたと思ったら、すぐに口を開けて催促する。
あっという間に、持っていたゼリーを食べ終えそうになった時、ぱっと私の顔を見て、目をつぶってしまった。ナースコールを押したら、ナースが、吸引を始めた。
前日から、点滴がさせなくなり、点滴もやめていたという。よほどのどが渇いていたのだろう。
ここでは、誤嚥性肺炎という診断は、死刑宣告だったのだ。
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