土曜日, 10月 12, 2024

夫の介護についていろいろありました

 夫は、糖尿病、痛風、高血圧さらに、睡眠時無呼吸、脳梗塞合計3回など、さまざまな病気を経験しながら、お医者さんに、酒をやめなければ、命の補償はしないといわれても、死んでもいいから酒を飲みたいと、言って、最後は、寝たきりで、介護病棟に1年半入院し、痛そうな褥瘡も抱えながら、亡くなりました。

病院や、老人保健施設にお世話になりました。

老人保健施設や、長期ショートステイなどでは、色々な施設がありました。

最初に、毎日血糖値を測りますと言っていたのに、高熱を出して、救急搬送された後、一度も血糖値や、グリコヘモグロビンすら測定していなかったこと、薬も飲ませていなかったことが判明した老人保健施設がありました。

そこは、最初そのように案内してくれた相談員が辞めてしまっていました。

病院に併設されていた老人保健施設だったのに、言語聴覚士も最初はいたのに、やめてしまっていたことがわかりました。

また、有料老人ホームの長期ショートステイというところでは、もっと安く済むかと思ったのに、月20万円もかかり、食事のカロリー制限が全くされていなかったことが、救急搬送されてから分かったことがありました。

それでも、自宅で介護することを考えれば、感謝するしかないという事情もあり、文句も言えないままでした。

病院に救急搬送されるたびに、経過を話し、順番に事情を話していくことになりましたが、病名がわからないまま、自宅介護していたとき、次女に任せて、外出していた時、トイレでうんちまみれになったと聞いては、まだ仕事をしていたので、介護休暇を取るにも限界があるため、途方にくれました。

テレビをつけてといってもつけられない、なんかおかしいと次女に言われて、病院につれていったとき、アルコール性精神病だから、系列の精神病院に入院させるように、と、誤診されました。それは嫌だと本人も言うので、自宅に帰って、1週間くらい介護休暇を取って面倒を見ていたのですが、その間、往診も頼んだのですが、大きな病院に見てもらったほうがいいといわれて、別の病院に行ったところ、念のため,MRIとりましょうと言われて、撮ったところ、車いすに座るように言われ、緊急入院となりました。脳梗塞が、侵攻していたのです。

結局、その病院では、拘束衣を着せられても、マジシャンのように抜け出してしまうといわれて、すみませんと謝りながら、2か月も入院させてもらいました。

失語症、失行症と言われました。

一週間家にいた間に、最初はメールも打てたのですが、どんどん進行していき、最後は、鉛筆を持たせると、たばこのようにくわえるようになっていました。

ま、そんな状態でしたが、リハビリをしてもらい、ご飯を手づかみでなくお箸や、スプーンで食べられるようになりました。

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