金曜日, 11月 29, 2024

母が亡くなった時のことを書いてありませんでした

 母は、薬漬けにされたあと、7年くらい生きていました。

その後の話、特に亡くなった時のことを書いてありませんでした。

実は、非常にショッキングで、書く気にもなれず、忘れたいと思う気持ちもありました。

それは、今から11年くらい前のことです。

有料老人ホームから呼び出されて、誤嚥性肺炎になったので、心づもりをしてほしいという話。

しかし、食事がとれるかどうか、試してみてほしいと言って、試したら、食べられたので、食事再開しますという話だったと思います。

しかし、しばらくして母のところに言ったら、また誤嚥性肺炎で、食事を止めて、一日500㏄の点滴だけになったという。

目がくるっと上向いて、白目をむきそうになる。

誤嚥性肺炎と言っても、血液に細菌が検出された、熱が出たというだけ。

医者は、泌尿器科の医師一人だけ。

私は、誤嚥予防のため、ゼリーをもっていっていたので、それを食べさせた。

アサイーゼリーだったと思う。その後、アイスクリームなども喜んで食べた。

しかし、一筆書かされた。何かあったら、責任を取りますと。

私の主治医に相談したら、その状態は、もう手遅れだという。

点滴で生命を維持するには、中心静脈栄養という方法で、一日2000㏄くらい入れなければ、だめだという。

私は、それから毎日通った。

2週間くらいたったとき、すごくがつがつしているのを感じた。

食べたと思ったら、すぐに口を開けて催促する。

あっという間に、持っていたゼリーを食べ終えそうになった時、ぱっと私の顔を見て、目をつぶってしまった。ナースコールを押したら、ナースが、吸引を始めた。

前日から、点滴がさせなくなり、点滴もやめていたという。よほどのどが渇いていたのだろう。

ここでは、誤嚥性肺炎という診断は、死刑宣告だったのだ。