夫が最後にお世話になったリハビリ病院でのこと。
夫は、失語症で、特に聞くほうの機能が失われているため、何をしゃべっても通じませんでした。
保険審査の人が来たとき、話しかけると、聞いてないと、怒り出しました。
全く話が通じなかったです。
そんな状態から、群馬の有料老人ホームのショートステイで、倒れた後、原町の赤十字病院を経て、沢渡のリハビリ病院に入院させてもらい、初めて本格的なリハビリを、受けさせてもらい、自分の名前を書けるまでになりました。
しかし、その後、いつまでも入れてもらえないため、家に連れて帰ってくださいとまで言われてましたが、何とか地元の老人保健施設に入れることになり、一時、以前預けていた有料老人ホームのショートステイにいたあと、介護タクシーで、連れて帰りました。
ショートステイの人は、介護タクシーの人に文句を言ってましたけれども。
地元の老健で、夜中に高熱を発し、救急搬送され、救急病院で、多臓器不全と言われ、あと、2、3日と言われながら、持ち直したのですが、寝たきりになってしまいました。
老健では歩けていたし、ほかの人のご飯を取って食べてしまうと言われたりしていたのですが、ついに寝たきりになりました。
そして、最後のリハビリ病院で、少しは回復するかと思ってたのですが、体を起こすと血圧が上がるということで、リハビリできず寝たきりでした。
水分も流動食を鼻から流し込むだけでした。
透析をやっていたことがあるので、最初の先生はかなり制限していたようです。
そして、隣のベットの入院患者は、脳しゅようの手術に失敗していたけれども、リハビリを頑張っていた人でした。
その話を聞いていた私は、長女が来たとき、その話をしてしまったのです。
隣の患者は、耳は聞こえている人でした。
ベットサイドでしゃべってはいけなかったのです。
すると、主治医が変わりました。
水分を200ccくらい入れているのをみました。いいのかなと思ってましたけれども、夫が危ないという連絡を受けて、病院に行きました。
夫は、顔が膨れ上がるくらいにむくんでしまいました。
そばについていたら、血圧がスーッと下がったので、ナースコールをしました。
すると、看護師さんは、薬を入れるノブを操作し、血圧は戻りました。
「このままどうするんですか、休んでいてください」と言われて、別室で休みました。それから、亡くなったという連絡で、夫のところに行きました。
私は、余計なことをしゃべったため、夫は死期を迎えることにされたのだと思いました。
でも、1年半、本当は、転院しなければいけない時期を過ぎて、入院していたし、褥瘡もひどかったし、かわいそうだったかもしれません。
悲しいけれども、最後、子供たちにもさよならして、亡くなりました。
こんな形の別れでした。